toi

話しづらいひとりごと

雑記_words

定義された言葉の意味と、それを実際使うときの人の心情は重ならないことも多々あるので、音としての言葉と、意味としての言葉は変わってくるのではないかと感じる。

ここ十数年、『ありがとう』という言葉と同じ手軽さで『死にたい』と言う人がとても多い。これは主に若いひとたちにいえることだと思う。しかしここで彼らの言う『死にたい』というのは、『命を落としたい』という意味ではない。疲れた、だったり、辛い、だったり、そういった何とも言えない、少し逃げてしまいたいような日常の気だるい物事に遭遇したときの心情を表しているのだろう。

『死』が遠く感じるように錯覚できる現代に、『死』という言葉の重さは少し変わってきている。

 

しかし、その代わりに言葉に重みを感じることもあまり無いような気がする。

言葉に重みのある人というのは、無意識のうちにその『言葉』の上に重なった重く長い歴史を、感じているのかなと思う。

例えば、生き物として生きる我々から切っても切れない単語に『愛』と『死』がある。

『愛』という言葉には、今まで生きてきた数えきれないほどの人間や動物や植物の『愛』の歴史が重なっていることをしり、『死』という言葉には悠久の歴史のなかの様々な形の『死』を感じ取っている。意識的でも、無意識的でも、それをわかっている人の言葉にこそ重みが加わるのだと私は思う。