雑記_朝
光
やわらかな粒子を浴びて
呼吸するわたしの中を
重くて軽いそれらがめぐる
音
すべてがいきている
あざやかな波のなか
朝
終わることがわかっている1日が
始まった合図
それなのに
どうして
この音と光には
しあわせばかり感じる
雑記_記憶
私はどういうわけか過去の記憶があまりない。断片的な画像が頭の奥の方に散らばっている程度だ。拾い集めてみても少し埃がかぶっているようにぼやけているし、何より前後のつながりが見えず、いつの、何の記憶なのかわからなかったりする。もはや事実なのか私が作り上げた景色なのかさえはっきりしない。
『わたしは何かを忘れている』という感覚があればまだ良い方だ。忘れたことすらも忘れている記憶が、一体どれほどあるのか。とりこぼしたそれらはもう二度と存在しない。その一瞬は死んでしまったようなものだ。
過去がつらかったわけでも不幸だったわけでもない。むしろ幸福だった。人にも必ずと言っていいほど恵まれてきた。なのになぜ、私の過去は私の中からぽろぽろとこぼれ落ちてゆくのか。
ひとつ不思議なことに、過去に戻りたいと思ったことがただの一度もない。
これは私が今までずっとついてきた嘘のひとつ。中学時代に、高校時代に、大学時代に戻りたいという人が多いけど、そうだねと言いつつその感覚がほとんど全くと言ってもいいぐらいにわからない。あの頃はよかったのに、という感覚がわからない。今が続けばいいのにと思ったことは幾度もあるけれど、それでも気づけば今だ。続いてほしいと願った"今"は知らぬ間におわって、また新たな"今"につながっている。それに疑問も苦しみもない。私は変化のなかでしか生きられないことがわかっているもの。
明確に過去のひとつひとつを覚えてないということは手持ちの荷物もないまま歩いているようで少し不安な気持ちになることもあるが、これはこれで良いのだろうとおもう。
呼吸も脈もいつ止まるかなどわからないので、持ち物は軽い方がいい。物も過去も人も、背負いこみすぎては歩みが重くなってしまうのではないかなとおもう。